yusucasting

ORDO Records 代表 & Dhingana Radio Station 放送作家 yusucaster のブログ

サイボーグ009Re:Cyborgと「終わらせなければ始まらない」

2012年10月に公開された神山健治監督のアニメーション映画、サイボーグ009 RE:CYBORG。この映画のコピーとなった「終わらせなければ 始まらない」というメッセージ。神山監督はこの映画を通じて何を終わらせ、何を始めようとしたのか。

 

 原作は、石ノ森章太郎の漫画サイボーグ009。政治や戦争などを題材にストーリーを描いてきた彼は、晩年、「神」との闘いを描いていた。「神とは何か」その答えを出さずして彼は亡くなってしまう。サイボーグ009は未完の作品として残った。

映画の舞台は2013年。ロンドンやベルリンなどで超高層ビルを狙った同時多発テロが発生する。「彼の声」を聞いた物達がテロを起こし、世界を崩壊させようとする。

これは神山監督の作品、東のエデンで描いていた「この国の空気」=閉塞感が漂うこんな世界、ほろんじゃってくれという若者の無意識世界の延長線上だと考える。東のエデンの主人公滝沢がその無意識を代弁してヒーローとして描かれているが、もし彼のような人が複数現れたら。それは一種の革命などと同じで、無意識を行動に移すことに火がつき多くの人が動き始めるのではないかと思う。

 009では物語が進むに従い、ある結論が出始める。

 彼の声=神の声であり、神というのは自分の脳がつくる幻想である。つまり、人々は自分の無意識に従い行動し、テロを起こしたんだと。神山監督なりの理論で、神というのものを解釈し、009の答えを出した。それはある意味で一人の若者である自分にとっては納得のいく結論であり、自分の世代の009をやってくれたんだと感じた。

 プロデューサーの石井朋彦は「若い世代の人たちは、自分たちの世代の映画をほしがっているそれを創りたい。」と語っている。

石ノ森章太郎が結論を出せずして亡くなってしまった「神の存在」に対して、神山監督なりの結論を出して、「自分が009を終わらせてやるんだ」という思いを感じた。また、自分としては石ノ森章太郎のサイボーグ009ではなく、神山監督の2作品目をみてみたいと感じている。これは作品の中での「終わらせなければ 始まらない」というメッセージだったと思う。

 

次にこの映画を創るにあたって神山監督と石井プロデューサーが意図した映画のストーリーに付随した「終わらせなければ 始まらない」について見ていく。

 この映画が注目されているもう一つの大きな理由として、全てコンピューターで創られている。手書きを一カ所も使わなかったのだ。3DCGアニメーション技術で、日本人が好きなセルルックを表現する。

プロダクションLGとスタジオ3次元というCGの会社の共同で創ったこの作品には、手書きのアニメーションと同等の表現をCGでやるというミッションがあった。スタジオサンジゲンのアニメーションディレクターの鈴木取締役はこのように語っている。

「今のアニメ業界は、昔に比べて表現のレベルがあがってしまったので手書きのアニメーターの戦力が枯渇している。アニメーターから絵を描く苦しみを取り除いてあげないかぎり続かない。3Dでやることによってその苦痛が軽減できる。

 ピクサーのような3Dのフルアニメーションが時代の主流となる中、日本はジブリに象徴されるような手書きのアニメーションが強く根付いている。しかし、手書きのアニメーターは中々育たないのが現状であり、コンピューターを使ったアニメーションにどうやって意向すればいいのか、という課題があった。その中でこの作品の制作が決まった。神山監督はこのように語っている。

「当初はフォトリアル(写実的)な映像を目指していたのですが、3DCG で作ると限界がない分、どこまでリアルを目指せばいいのか......落とし所が見つからなかったんです。そこで、セルアニメ調の 3DCG を採用しようと」。 これは、日本のアニメーション独自の魅力でもある「(現実には存在しない)漫画絵で作るリアルさ」を 3DCG で表現しよう、という試みなのだと言う

 3DCGならではの、手書きでは難しい表現もこの映画では描かれている。主人公、島村ジョーの加速装置を使った高速移動だ。”作画の場合、例えばキャラクターが走っている場面を、スローモーションで表現しようとすると、通常の6倍程度もの作画枚数を描いてようやくスローに見える......という具合に、手間がかかる割に、あまり効果的な映像が得られない。それを、3DCG を使うことで、効率的に表現できるようになった”

これまで海外の3Dアニメーションで出てくるキャラクターを見ても、日本のセルアニメーションを見て育った自分は、全く感情移入が出来なかった。しかしこの作品に出てくるキャラクター達は完全にセル風であり、手書きと全く変わらない感覚を自分は持つことができた。

「キャッチコピーはダブルミーニングにもなっています。映画をご覧いただければわかりますが、「混沌とした世界を、一度終わらせなければ始まらない」という神からのメッセージを、人々ひとりひとりがどう乗り越えていくかという、ストーリーに対する意味合いも込められているんです。」

神山監督はそう語っている。

 

 この作品の制作は当初、押井守が監督を務める予定だった。しかし、打ち合わせの日に神山監督の脚本をみた押井守監督がそれに意義を唱えた。

「ゼロゼロナンバーサイボーグの多くがいなくなっているとか、フランソワーズはおかっぱじゃないといけないとか。ー中略ー 押井監督には監督を降板いただき、脚本をお願いしていた神山監督に、正式に監督をお願いする運びとなりました。」

009制作当初の年にジェームズキャメロン監督のアバターを見て、敗北宣言をした押井監督。「あれは事件だよ。全員に観て欲しい映画だね。こちらがやりたかったことを全部やられちゃった。あれには10年かけても追いつけない。」

このアバター以降、石井朋彦プロデューサーは押井守監督が「明らかにやる気が無くなっていた」と語る。

押井守監督のスカイクロラからプロデューサーを務めていた石井は働かない押井守監督に見切りをつけ、神山を監督にする決意をした。

 

 

 原作のサイボーグ009、手書きのアニメーション、押井守監督、これらの時代を終わらせ、新しく自分たちで時代を切り開く。そのメッセージがこの映画の「終わらせなければ 始まらない」というコピーには込められている。